おかげさまで2月11日に講演会を開催することができ、町内外より約30名の来場がありました。
小林源太郎といえば、町指定文化財の「元三国峠権現堂扉」(株式会社高半が所蔵)。中島さんはこれまでに3度、高半へ取材に訪れました。女将の高橋はるみさんから聞いた話などを披露した他、平野屋(現・青木酒造)「薄荷円大看板」の屋根を発見した情報を公開。今まで注目されなかった源太郎に光を当てた内容となりました。
町内から来場した30代の女性は「この講演で色々知ることができてよかった。源太郎を私も追ってみようかな、他にも作品を見てみたくなった」と感想を下さいました。
中島さんは「源太郎について、もっと掘り下げてみたい」と話していました。
石川雲蝶バスツアー専属ガイドであり『私の恋した雲蝶さま』著者の中島さん。
雲蝶の同時代に活躍した彫刻師・小林源太郎を通して、新たな視点で雲蝶に迫ります。
【日にち】2018年2月11日(日、祝) ※終了しました
【開始時間】午後2時
※ 入館料が必要です。
※ 定員30名(予定)に達した際、お席が無い場合があります。
主催:一般社団法人 湯沢町観光協会
後援:湯沢町教育委員会
協力:南魚沼雲蝶会、株式会社高半ホテル
雲蝶が魚沼に滞在していたころ関わりがあった人々、同業者たちとの交流など、雲蝶を取りまく時代背景の中、特に大きな影響を与えた存在として、熊谷の彫り師、小林源太郎がいます。
雲蝶が豪快な瞬発力のある躍動感あふれる作品を彫れば、 源太郎は180度ちがう、繊細で穏やかな正統派の作品を彫ります。このふたりが魚沼の社寺仏閣に、まるで申し合わせたように作品を作り置きしています。
作品の中に「これでもか!」と言わんばかりに自己PRの 刻銘を入れる雲蝶と、彼のかたわらで穏やかな作品を彫りながらも名前を残さないため、雲蝶の作品の陰に隠れてしまっている源太郎。約160年前、やがてこういう時代が来るという先見の明が、雲蝶にはあったのでしょうか。刻銘を残す習慣と、そうでない習慣の違いは明らかに明暗を分けていますが、15歳の年齢差のふたりが行動を共にした経緯とはいったい何だったのか、 雲蝶の「人となり」に寄り添うには、きっと源太郎を外すことはできないと思うのです。
雲蝶と源太郎の対照的な作品の面白さ、人柄も真逆なのかも知れない。大喧嘩をして共作の作品を途中で投げ出し未完成に終わったという言い伝えもあるので、ふたりの交流の謎解きには、想像以上の面白さがあると思います。【中島すい子】